昭和43年6月23日 朝の御理解



 金光様の御信心をさせて頂いて、一番有り難いと思う所一番有り難いと思わして頂く事は、金光様のお道は喜びで開けた道だと言うことです「此方の道は喜びで開けた道だから、喜びでは苦労はさせん」とおうせられます。喜びで開けた道、ですからお互い、そういう喜びの道を体得させてもろうて、ね、そういう信心を子供にも孫にも、子々孫々に伝えておきたい「信心の道を迷わず失わず末の末迄教え伝えよ。」と。
 どういう道かと、此方の道はもう喜びで開けた道だと。そこの所をですね、ひとつほんとうに体得さして貰う。これはあの、あらゆる宗教が宗派がですね、こいうような道の開け方をした宗教っていうのは外になかろうと思うんです、ね。例えば教祖様と言われたり、その宗祖と言われる人達は非常なあの難儀に直面をされるというかね、苦しい、例えばキリスト教あたりは、その祖であるところのキリストが、ね、
 磔という拷問にあわれるそこから新たに生まれ変わられてから立てられた道なんですね、非常に悲惨ですそういう中からキリスト教が生まれているです。お釈迦様だってそうですね、仏教でも皆さんも御承知のように人間的に言えば幸せないわば家庭に生まれなさった。国の王子様として生を受けられて人間の困ったとか自分の思う様にならない事はないと言う様な、贅沢気ままでも出来る様な家に生まれられた。ね、
 難儀というものを知られなかった。所が一歩外に出られてから初めて見られたものはですね、もうとにかく町には所謂物乞いですね、乞食ですがもう沢山群れをなしておったということ。初めてその気付かれたんですねえ、世の中には金やら物がなくてこんな難儀をしておる、苦しんでおる人間があるんだということを。病人も見られたんです。世の中にはこういう様な病気の苦しみがあるね。葬式を見られた。
 「はあ人間はこういう悲しい事に直面しなければならない」と言う様にですねね、死ぬるとか病苦とかね、又は貧乏の苦しみと言った様な、そういう苦しみを見られた所からですね、こういう苦しみの中から救われる道、助かる道はないものかというそこから出家されるそれから6年間ですか、7年間ですかね菩提樹の下に座られて悟りを開かれた。人間の一番苦しい、もういうならば暗黒の中から光を求められたんですね。
 こりゃまあ、世界の一番大きい二つの宗教の例をとたわけですよね。仏教はそういう中から生まれたんです、喜びから生まれてないのですよ。(笑)ね、キリスト教でも申します様に、もう実にこれより以上酷な悲惨なことはなかろうと思われる様な、その場面が次々と展開してくるですね。最後には、いはばその十字架に登らねばならない、いわば磔にあいなさるといった様な中からキリスト教は生まれているです。ね。
 それにはそれぞれのやはり理屈がありますよね。みな難儀な人達のためにまあ代表で苦しまれたと言った様な意味のそれもありますけれども、そういう意味でならお道の信心にでもですね「元をとって道を開く者はあられぬ行をするけども」と言った様な御教がありますけども。もうそもそもの所がですね教祖様という方はあのそうじゃなかったですね。その時代のまあいうならば非常に零細な農業の子供として生まれられた。
 しかも12歳の時にはもう養子にやられておられる、12歳といやまだ今なんですか、中学校ですかね。そしてその一番初めに養父母に対してお願いなっさておられる事は、どう言う事かというと、ね「私は神参りがしたいと思いますと、ですからそのお休みの日には快う参らせて下さい」という事を両親に頼んでおられるですね。それは自分が苦しいから拝むというのじゃなかったという事が分かりますね。
 いうならば信心がもう芯から根からお好きやったという事。拝むという事ですからあのあたりの神社仏閣は言うに及ばず、段々長じるにしたがって東はお伊勢さん参りからね、海を渡って四国あたりの、いわばお大師様の霊場をまわられたりなさっておられます。もうその時分の零細なこの農業の苦しみというのは想像がつかんくらい、今の農家の方達とは全然だためが違うほどのもんだったらしいですね。
 ひどい上納ですかね作った物のうちの殆ど7割8割を納められた。そういう中にですねそういう中にいつも喜びをもっておられる。しかも問題が起きてもですそれをですね、もういつの場合でもどういう時でも、ね、所謂あの金光大神を紐解かせて頂かなければ分からんわけですが。だから金光大神を勉強さして貰わなきゃでけん。昨日の御理解をまあ簡単に訳しますとね、金光様の御信心はね。
 教祖の生きられ方そのものが教典だという様な意味だったですね。そういう事は申しませんでしたけれども、昨日の朝の御理解を一口で言うとそうだったです。もう教祖の生きられ方そのものが金光教の教典だとその生きられ方という中にはね、悲惨な事だな苦しい事だな。どんな苦しい中にあっても喜んでおられるという事ですね、喜び喜んで開けた道とか「此方の道は喜びで開けた道じゃから苦労はさせん」とかいう様なです。
 そうして人間が真実幸せになっていく、その大真理というものを掴んでおられるです。病気があっても、ね、例えば七墓築かれると言う様な、次々死人が出来られたり致しましてもです。それをひとつも悲しい事苦しい事だけにしておられないのです。それでもというその喜びを苦しいです、けれども有り難いというものを必ず、喜ばしいというものを持っておられたという事です。しかもその起きて来るそういう悲しい問題。
 苦しい問題でもですもうそれをもう平身低頭、ね、神様にお詫びをし抜かして頂いて「是で済んだとは思いませんと」いう生き方ですね、いわゆる実意丁寧であったという事、どの様な問題でも仇や疎かになさらずに、その問題を真剣に信心で取り組まれたと言う事です。そこから喜ばねばならんというのじゃなくて、もう本当にそこから自ずと喜びが湧いてきておられるという感じです。
 ですからこの事をまあなぜ喜ばねばならないか喜ぶとなぜお蔭が受けられるか、という理屈を抜きにしてですただ教祖の神様はまあだいうなら12の歳はもいかない、何にもお解りになられる筈はない教祖様がですね、とにかく信心がお好きであったと拝む事が好きであられたと。時の小野光衛門という庄屋さんに付いて手習いを稽古しておられますがその光衛門さんが言うておられる事の中に、教祖様のお子様時代の時をですね。
 「この子はどこか違う」、人とは違う、そう言うおられるですね。どこが違うか分からん、それを又表現して、とにかく自分の心の中にね、もうなんとも言えぬ、なんか鐘の音色のようなものを聞き入っておるような時を、感ずるという風に話しておられるですね。自分の心の中にです、何かそのいわば鐘の音にも似たようなですね、まあいうならば、どこからか湧いてくる喜びのその心をですね。
 自分で自分ながらそれに聞きとれておるような様子がね、あの子には見えると。夕方いうなら遊びに出られたまま帰られない様な事がある。捜しにおいでられると、ね、ま、池の端にちゃんと・・?られる。そしてその水面を眺めながら一生懸命何かをですね、見つめておられるといった様な、天の一角を見てはぼんやりとしておられるといったような時があった。もう兎に角、教祖様の心に映ずる物ですね。
 目に映るものが総てがもう不思議で不思議でたまらんものにばっかり見えたらしいて。そういう風に言うておられます。ね「この雲がこの水が、ね、どこから湧いてどこから流れて来て、どこにさって行くのであろう。思えば思うほど不思議な事じゃある。これはどこの誰がこういう事を、こういう働きをするのであろうか」とゆう、まあ言葉ではっきりそう言うわけではなかったでしょうけれど。
 そういう物を何とはなしに感じておられたようだという事です。ですから教祖の目に映ずるものは皆が不思議で不思議でたまらん程に有り難いものずくめであったという事。そこから、ね、自分の心の中になる鐘の音を自分で聞きとれておられるような時があったという事。だからこそ12のまだ歳のはもいかないお子様がです、養子に行かれて、養父母に一番初めにお願いをなさっておられる事がです。
 「普通の日は一生懸命働きます、だからお休みの日だけには、心よう神様参りをさして下さい」というように言うておられる。あのあたりには、大きな瓦を焼く工場があったらしいですね工場が、ですから村の者は皆、子供女、松葉かきに行ったんですね、たき物採りに、普通の子供は一把位しか採ってこんのですけども、教祖の神様は必ず二遍行かれて、二把の松葉をかいて来られたという。
 そして一把は売ったお金を両親にあげられると、一把は自分がおこずかいにされた、そのおこずかい全部、が神様参りや仏様参りの費用に使われたという。別に自分が病身であるとか頼まねばならんとか、苦しいからというのじゃなかった。何とはなしに自分の心の中からですね、そういうその信心の喜びというか、拝む事の有り難さといった様なものを子供ながらにも、身につけておいでられた。
 長ずるにしたがわれてそれはもう愈々深いものになって来た。人が信心文さんと言い場合には、ありゃ信心気違いだと言う様な風にさえ、言うたり見たりしたらしいですねえ。それでいてまあ零細なお百姓の中からです、一生懸命に人が1時間働くときゃ1時間半働くと言う様に働かれたんです。それはもう驚異的なその数字がですね、文献に残っているんですよ、そういう零細なそのお百姓さんが。
 村で一番のいわば物持ちになっておられる。それはあの自作小作合わせて一番の大百姓になっておられるです、奥様を迎えられる頃までには如何に忠実に働きよんなさったかという事がわかるです。お米でも文さん米といやぁですねもう粒が大きかった。そういう様な事が文献に残っているです。上納されるでもです一俵でも良い所でもですね、良く出来たといやそれにやはりいうならばまた幾らかかてて上納しておられるです。
 どんなに考えてもですね実意丁寧この上がないです。この例えば一反の中から五俵なら五俵の米がとれるだから三俵なら三俵上納にする。もうそれだけで十分なのである、いやむしろこぎりたい位である。今年は出来が悪かったから二俵半にして下さいと異様な事があっていいのですけれどもです、ね、それが当たり前の時は当たり前だけども、今年は良うできたという時にはね。
 必ず今年はおかげで良く採れましたからと言うて余分にしとられました。だからやはりいよいよ変人にということ、そういう所から「信心は変人になれ」というような事になっておるんじゃないでしょうかねえ。もう物事に取り組まれるどういう問題でもです、もう実意の限りを尽くして取り組んでおられるという事、ね。そしてどの様な場合でもそれをみな喜びで受けておいでられるという事。
 ここん所にですね、金光様の御信心の他の宗派との生まれ、このお道が誕生したというその誕生した、そこからが違うんですよね。様々な難儀に会ってですね、その難儀でどうにもこうにも出来ない所から、例えば神様を発見されたとか、ね、というのではないのです、ね。苦しい中から生まれた宗教じゃない、悲しいことの中から生まれた宗教じゃない、もうどこまでも喜びの中から生まれた宗教ということです。
 ですから私共がですね確かに「「此方の道は喜びで開けた道、又喜びに喜んで開けた道であるから、ね、総ての事は訳は解らんけれども御都合に違いはない、神様のお蔭に違いはない。そういう頂き方をです見守っていただかして貰うてもう「此方の道は喜びで開けた道じゃから喜びで受けて行けよ、成り行きを実意丁寧をもって頂いて行けよ」と「そこからおかげの頂けれる道ぞ」という事をですね体得して行くと言う事。
 信心の道を迷わず失わず末の末まで教え伝えられるという事は、ね、こういう喜びの道。そこで日々ここで頂かして頂くのはなぜ喜ばねばならないか、というその喜ばせて頂かなければならない訳をね、ここでは頂く、いわゆる一切が神愛だというふうに説くわけなんです。ね、ですから一切が神愛と分かる所からです、例えば苦しいことに直面しましても、苦しいけれども有り難いという喜びがある訳です。
 ですからその喜びが又つぎの喜びを受けていく受けものになるはずです。喜びに喜んで開けた道、此方の道は喜びに喜びから生まれた宗教、ね。そういう信心をお互いが身につけていかなければならない。教祖の神様のどこをひもとかせて頂いても、それは世の中の人間が一応は味あう所の人間の悲しみとか苦しみとかいうような事も、もうそれはより以上に直面しておられます。
 けどもその受け方がすばらしい、ね、その見られかた感じられかたが全然違う。そこに私共はですね。昨日の御理解の中に神習うという教祖のあられ方を神習わして頂かなければならない。神習わして頂けば頂くほどわかる事は、ね、成程「此方の道は喜びで開けた道だな」ということである。それを例えば様々な教学的に、ね、それを理論づけてまいりますと、日々頂いとります、ね、
 教祖の神様のたったこれだけの御教、いうなら183箇条の御教、183箇条の御教からこの教典がなっておる。読めばこれは30分ぐらいもかかったら読んでしまうが、というように簡単な教典である。ところがその教典をいよいよ、これを御理解頂かしてもらう、その深さ広さをしたら、恐らく私が一生かかってもこれは説き得ないだろう。合楽ぐらいに深く広く説いている所はまずなかろうと思われるぐらいに。
 説いて説いて説き明かしてもです、まあだまあだ説き足りないくらいなんです。そういうお互いは現在ぞうきょうに入っておる、ね。教えの蔵にお互い入っておる。ですからそれを勉強さしていただいて、どういう意味あいからどういう角度からいうても、ね、お蔭の頂ける、それは何を極めるかというとです、「此方の道は喜びで開けた道じゃから、喜びはで苦労はさせん」という、その何故喜ばねばならないか。
 何故いよいよこの喜びを広い深いものにしていかなければならないか、という事を説くのです。ね、そういう喜びの道をです、私共は信心の道と思う、お道では、ね。それを迷わず失わず末の末までも教え伝ていけるものにしていかなければならない。ね、お道のだから教典はこれだけなんだけども、ね、教祖の生きられ方、ね、教祖様の御生活の態度そのものが教典である。
 もうだからその生きられかたほ神習わして頂くということはこのくらいデリケートことはない。物の見られ方感じられ方というのでも、「ははあこういう見方に幸せがある、こういう感じ方に人間はいつも喜んでおれれるんだなあ」という事なのです。ね。いよいよそういう喜びの道を体得さしてもらわなければなりません。ね、いわゆる教祖様を神習わして頂かなければなりません。ね、
 お道の信心ほど明るく素朴で、ね、健康的な信心はないように思われます。ね、どの宗旨、そりゃ結論は結局有り難いという所に到達していますでしょうねえ。どの宗教でもけどもそのそもそもの所が違うです。ね、苦しかったから神様をおがんだそして悟ったんじゃないという事です。いやな物を見た汚い物を見た苦しいものを見た、とお釈迦様のように、そういうまいうなら。
 四苦八苦とでも申しましょうかねえ。そういう苦しみの中から喜びを見いだそうとしたものではなくてですね、もう素直に例えばその苦しいことその病気でも、例えば悲しい問題でも苦しい問題でもですそれを実に素直に素直にみられたんですね。そして受けられたんですこういうけれどもよくよく見たら、こういう苦しい事になっておるけれども、けれどもここにはこういう。
 おかげを頂いておるというそのおかげのお礼の喜び、お礼というか喜びの方が強かった。いつの場合でも。ね、そういう信心を教祖様が自分の御生活全体で教えておってくだっさたもんですから、どうでも一つ教祖の生きられ方というものをいよいよ勉強させて貰うて、ね、それを体得させてもろうて、それが子々孫々に、いうなら子に孫に伝わっていくような。だから簡単にいやあ。
 此方の道は喜んでさえおればおかげが頂ける道だ」という事を自分も思い込み、子にも孫にもそれを思い込ませれる信心。「うちのおばあちゃんはどんな時でも喜びよった。どんな時でも不平を言わなかった。どんな時でもお礼を言いよった。」これが孫や子に伝わっていかないはずがない。ね、そしてそこからです、本当におかげを受けて行くおかげの実証というものはですねえ。
 見せるのですからまあ簡単なそのいわば信心である。それでいてその簡単な教祖の生きられ方をです勉強させて貰うとです、どういう沢山な教典、ね、経文教えの本というものが残されておっても、それに匹敵するどころか、それにも増したですね、素晴らしい教えが教祖の御生活全体の中にあるという事。ね、それをお互い勉強したいと思うですね。
   どうぞ。